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オタクの戯言

オタクが思うがままに書き連ねていく、とりとめのないブログです

μ’sを3年半追いかけた私が、サンシャイン!!最終回について素直に語る(感想・ネタバレ)

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はじめに

当ブログに初めてお越しのかたは初めまして、定期的に来てくださっているかたはいつもありがとうございます。あにおです。

μ’sのファイナルライブから3か月、かなりの注目度の中始まった「ラブライブ!サンシャイン!!」が、昨日、最終回を迎えました。

生憎と昨日は忙しく、リアルタイムでの視聴は叶わなかったので、今まで完全に情報を遮断していたのですが、蓋を開けてみるとなにやら賛否両論のようですね。

では、実際問題、視聴してみてどうだったのか。

μ’sを追いかけ続け、ラブライブ!というコンテンツにかなりバイアスがかかってしまっていますが、その点を考慮して読んでいただけると幸いです。

それでは、最後までお付き合いいただければ幸いです。

全体の印象は、とにかくμ’sからの脱却に苦しみ続けたという感じ

ラブライブ!の魅力の一つに、作品と現実とが一方通行ではない、作品と現実世界とが影響し合っているというのがあると思います。

キャラクターを演じている声優さんが、現実世界でも同じように歌って踊り、番組ではそのキャラクターになりきることもありますし、逆に、それが作品に反映されることもあります。

アニメで舞台になる場所は、実在している場所がモデルになっていて、コラボレーションをするというのも珍しくありません。神田明神とのコラボなんかは、正にお互いが影響し合った結果といえますよね。

以上の事はサンシャイン!!のアニメにもいえ、作品と現実世界とが影響し合っていたのですが、現実世界でのμ’sの存在の大きさが、作中でも同じように描かれていたのです。

というか、アニメのほうがより影響力があるようで、千歌ちゃんはμ’sに憧れAqoursを結成し、他のスクールアイドルもμ’sやA-RISEを神格化し、生半可な気持ちではスクールアイドルをする事ができないという雰囲気すら漂っていました。



そんなμ’sの影響下の中、いかにAqoursとしてのカラーを出すか、Aqoursとして何ができるのか、それを12話までずっと模索し続けていたように思えます。

やはり、ラブライブ!というコンテンツがあっての、「無印」であり、「サンシャイン!!」なので、どうしてもできる事が限られてしまいます。

そうすると、重なってしまう部分があるのは仕方がないことで、もちろん内容は全く違いましたが、メンバーが増える度にその背景を掘り下げたり、3年生、特にダイヤと確執があるかのように描かれていたり、統廃合の危機という設定があったり・・・。

また、ラブライブ!の大会への出場、優勝を目標とするというのも、避けては通れない道です。



このように、重なる部分が多くなればなるほど、比較されてしまい、μ’sの影響をモロに受けてしまいます。

そこから脱却するのは容易ではなく、説得力を持たせるにはその分丁寧な描写が要求されるため、「Aqoursらしさ」、「Aqoursならではのテーマ」に至るまでに、実に12話もかかってしまったのだと思います。

ただ、丁寧に描いた分、何故Aqoursが「0を1にしたい」という自分たちのテーマを持つに至ったのかが、かなり説得力がありましたし、違和感は全くありませんでした。

丁寧に丁寧に、μ’sから逃げることもできたのに、それをしないでしっかりとその現実を受け止めた上で、誠実に向き合ってきた結果といえるのではないでしょうか。



以上の口ぶりからもわかる通り、私の12話までの印象はかなり良く、強いて言えば「廃校」という設定だけは被らせる必要はなかったのではないかな、くらいのものでした。

まあこれも、「0を1にする」という目標として、説明会の0人をどうにかすることを最終目標に設定する上で、必要だったと後になってわかったので、今では納得していますけどね。

13話は物語のゴールをいかに描くかと尺との戦いだった

さて、問題の13話ですが、最初に何も考えずに観ていた段階では、「友人たちの参加するしない問題」と「前回までのラブライブ!サンシャイン!!演劇編」は、正直なところ首をかしげてしまいました。

何故今になってちょっとしたトラブルをわざわざ描いたのか、今まで我々はAqoursがやってきたことを良く知っているのに、こんなに長い尺を使って演劇を入れる必要はあったのか。

それ以外の練習風景や、各学年が絆を確かめ合うシーン、最後の歌と、ちょっと強引な気もしましたが、綺麗にまとまったと思える「君のこころは輝いてるかい?」での締めが良かった分、違和感が物凄くあったのは事実です。



しかしこの2つは、必要な描写だったのだと、後になって思い直しました。

この2つの描写は、「千歌たちの、Aqoursの活動が着実に実を結んでいる」ことの説得力を持たせるためだったのではないでしょうか。

友人たちが何か力になりたい、一緒に輝きたいと思うようになったのは、Aqoursの輝きにあてられたから、Aqoursの頑張りに影響されたからです。

千歌が1話で勧誘していたころは誰も見向きもしていなかったという事を考えると、これもまた「0を1にした」といえます。



こうしてまず、校内で徐々にAqoursの活動が影響力を持つようになり、次は校外へ、学校説明会の希望者の「0を1に」するという、とりあえずの最終目標へというのが、自然な流れです。

そのためにはまず、地区予選で会場にいる人にAqoursの魅力をわかってもらう必要があります。

そこで千歌たちが、Aqoursが考えたのが「これまでのAqoursの活動を演劇という形で会場の人に伝える」というものだったのではないでしょうか。

あのアピールタイムは、おそらく他のグループにも平等に与えられていて、各グループが与えられた時間内で好きなことができるといったもので、ラブライブ!の大会が大きくなったことで変わった事の1つなのかもしれません。

その枠の中で、いかに自分たちの魅力を伝えるかを考えた結果、出た結論が演劇というのは、なんとも女子高生らしいですし、これこそがあくまでも“プロ”ではなく“アマチュア”であるスクールアイドルの魅力なのではないかなと思います。



こうして、会場の人達にAqoursの魅力を伝え、それが波及して学校説明会の希望者も1名に、「0を1に」することができたと考えると、この2つの描写への違和感もなくなるのではないでしょうか。

ただ、このように行間をかなり読まないといけないことからも、かなり13話は駆け足だったといえますし、批判的な意見が出てきてしまうのも仕方がない事なのかなと思います。

個人的には、12話でAqoursの方向性が決まったあと、地区予選のライブだけを流して、結果は視聴者の想像に委ねる、くらいでも良かった気はしますが、少々盛り上がりにかけてしまうのと、あまりにも2期を前提とし過ぎているので駄目でしょう。

そう考えると、やはりあれがベストだったのではないかなと、今では素直に思っています。ちゃんとゴールを描き切ったのは大きいですしね。

おわりに

放送前は、一体どういう内容になるのか期待よりも不安が大きかったのですが、終わってみれば全体的に良くできていたのではないかなと思います。

前述した内容もそうですが、楽曲は素晴らしいものが多かったですし、作画も安定していて、CGの技術も格段に上がっていました。

正直なところ、μ’sのファイナルライブ以降、徐々にその熱は冷めてしまい、サンシャイン!!を素直に楽しむことはできないのではないかと思っていました。

しかし、そんな心配は杞憂で、μ’sという大切な存在とは別に、サンシャイン!!もまた大好きになれましたし、自分の中にしっかりと居場所が作れたのは、全13話を通じて、Aqoursの事をゆっくりと知ることができたからだと思います。

最終回で一応のまとまりはありましたが、ラブライブ!の大会が予選で終わっていることからもわかるように、間違いなく2期があると思います。

Aqoursが今後どういう方向へ進んでいくのか、彼女たちが自由に走った結果、何が生まれるのかを追いかけていきたい。

そう素直に思えるようなアニメでした。


長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。

それでは、またのお越しをお待ちしております。