オタクの戯言

オタクが思うがままに書き連ねていく、とりとめのないブログです

みんなは大丈夫?オタクって楽しいだけじゃないと気付いてしまった話

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はじめに

当ブログにお越し頂き恐悦至極に存じます。あにおです。


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先日、友人が所有していたフィギュアをタダで大量に貰う機会がありました。

1つ1つのクオリティも悪くなく(むしろ良い)、普通であれば嬉しい出来事だと思います。

が、貰った時、私はかなり複雑な心境に陥ってしまいました。

今回は、その理由と、この件で少し思うところがあったので、その事について書いていこうと思います。


それでは、最後までお付き合いいただければ幸いです。

きっかけは、友人に彼女ができたことだった

事の始まりは、友人との何気ない会話からでした。

「駿河屋ってさ、どうなの?」

聞けば、自宅にあるフィギュアの処分先に困っており、行きついたのが「駿河屋」だったようです。

フィギュアという“お人形”をただ捨てるのは躊躇われる。処分といってもまた次の主人が見つかるような環境が望ましいとのことでした。

別に今まで友人に彼女がいなかったわけではないのですが、今回の彼女は非オタで、彼が隠れオタクということもあり、部屋にあっても困るらしいのです。



私は自他共に認めるキモオタなので、冗談半分、本気半分で「フィギュアってさ!そういうものじゃないじゃんか!!」と良くわからないテンションで言いましたが、友人の意思は変わりません。

そこから生産性のない会話をしばらく続けていたところ、私から言い出したのか、友人からだったのかは覚えていませんが、最終的に私が全て引き受けるという流れになっていました。

届いたフィギュアを見て出てきたのは、“嬉しい”とは別の感情だった

それから数日後、無事、私の家に友人のフィギュアたちが到着しました。
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加えて、先日書いた撮影ボックスの記事で撮った、絵里も貰ったものです。どれも素晴らしいです。

中には、私の大好きな作品の物もあり、もちろん嬉しいという気持ちもありましたが、それを上回る複雑な感情が沸いてきたのです。

あれをあえて言葉で表すなら、“焦燥”とか“寂しさ”、“不安”なのだと思います。どちらにしても、ポジティブな感情でない事だけは確かです。

オタクであり続けることには、覚悟が必要なのかもしれない

オタク活動(オタ活)は楽しいです。

漫画・ラノベやアニメは自分ができない体験を、疑似的に味わわせてくれますし、イベントやライブはその感覚がよりリアルに体験できます。

SNSが発達した現代においては、同じ趣味の人と簡単に繋がることができ、それがまたオタ活の楽しさを加速させています。

ニコニコ動画やTwitterの実況などで、想いの共有ができますし、ブログではより詳しく、個人の感想が読めたりもします。



しかし、その楽しさは限りなく現実に近いだけで、現実ではありません。

私にとって現実は、やはり実際に会って遊ぶような存在。つまりリア友と楽しさを共有することだったのです。



オタ活をしている友人は、周りにそれなりにいましたが、気付けば1人、また1人と疎遠になっており、未だオタ活をしている友人は数名です。

元々オタクだった友人も、環境が変わるにつれて、オタ活をしなくなるか、していても本当に必要最小限といった感じで、周りからオタクがどんどん減っていっています。

・・・まあ、これは私が、そもそも友人がたくさんいるタイプではないせいというのもありますが。



そこにきて、今回の友人です。

この友人は、私と同じか、それ以上にキモオタだった奴で、一番の親友といってもいいほど仲がいいです。

かねてよりオタ活のペースが落ちて来てはいましたが、依然としてオタクであり続けていました。

しかし、今回のフィギュア一斉在庫処分によって、ほぼオタ活にピリオドを打ったといっても過言ではない状態。

この事実が、これから先、どんどん仲間がいなくなることを改めて突きつけ、意識させることとなり、なんとも言えない感情を抱かせたのだと思います。



オタ活を続ける限り、おそらくこれからも、そういうシーンが何度も訪れるのでしょう。

その度にこの、なんとも言えない感情を味わうというのは、中々にきついものがあります。

オタクであるということは、そういった感情を受け入れる、覚悟が必要なのかもしれません。

そういう覚悟も大事だが、他にできることもあるはず

今はまだ、同年代でオタクの友人が完全に絶滅してはいません。

しかし、これから先確実に減るでしょうし、周りが結婚し始めたら更にその速度は増すはずです。

その度に、得も言われぬ感情を抱くだなんてごめんですが、だからといってオタクをスパッと止められないほど、私の中核を成してしまっています。



ではどうすべきか。

オタ活に対する熱量を他の趣味に分け、同じくらいの配分で楽むようにすれば良いのです。要はバランスが大事というわけです。

昔はもうちょっとマシだったのですが、今の私の熱量をパーセンテージで表すと、9割がオタ活で、残り1割が他の趣味という状態だと思います。これはあまりにも体重を預け過ぎです。

そんなんだから、オタクの友人が減るたびに、無駄にダメージを負う事になるのです。

「え?やめんの?ほーん、まあいんじゃね?」くらいのテンションで聞き流せるくらい、オタ活の比重を減らしていくというのが、今の私の理想ですね。

おわりに

覚悟とか何を大袈裟な、と思われたかもしれませんが、親友の脱オタは私にとってそれくらい衝撃的な出来事でした。

今まで何も考えず、「たーのしー!」と与えられるものを享受し続けてきましたが、これからはちょっと控えめにしようと思います。

オタクの友達なんて本気出せばすぐ作れるっしょ!というコミュ力お化けの人は関係ないですが、私のように新規開拓できない人種のオタクで、全力投球している人は、同じく熱量の配分を考えるのも良いかもしれません。



長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、またのお越しをお待ちしております。