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アマゾンズの映画「最後ノ審判」を観た正直な感想(ネタバレあり)

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はじめに

当ブログにお越しいただき恐悦至極にございます。あにおです。

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出典:劇場版『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』公式サイト(劇場版「仮面ライダーアマゾンズ」製作委員会 ©石森プロ・東映、2018)

私は特撮は全く観ないのですが、この作品だけは友人に勧められて観てドハマりしたためシリーズを通して観ています。

劇場版もやるなら観たいのは当然で、公開後友人とスケジュールを合わせ先日観ることができました。

ということで、そんな期待に満ち溢れた状態で観に行ってどうだったのか、正直な感想を書いていきたいと思っています。


それでは、最後までお付き合いいただければ幸いです。

※長々と読んでられない!という場合は目次の「忙しい人のためのまとめ」から飛んでください。

考えさせられるテーマ性は健在で終始シリアスな内容だった

話としてはシーズン2の続きからとなっており、残りのアマゾン2人のうちの1人である悠が4Cに追われるところから物語が始まります。

あと少しというところまで追い詰められ、うしろは湖というところで4Cに属していた美月に庇われ2人して落下。

流れ着いた先にあった謎の村が今回の主な舞台となっていました。



その村には養護施設のような大きな館が存在しており、そこでは多くの少年・少女たちが生活しています。

しかし、実はこの少年・少女たちは人工的に造られたアマゾンで、その目的は食肉とするためという極めて残酷なものでした。


確かにアマゾン細胞によって成長速度が早くなるという事実は千翼で明らかになっており、安定して早く製造できるという点では理にかなっています。

それに、牛や豚が良くてアマゾン(人間)がダメな理由は?と言われると論理的ではなく感情的な理由しかあげられないかもしれません。

かもしれませんが、やはり明らかに見た目が人間である少年・少女たちを目の当たりにして、オスは不味い今度はメスにしようとにこやかに話す人間には嫌悪感を覚えずにはいられませんでした。



この事実を目の当たりにして当然悠は怒り、子供たちを逃がそうとしますが当の本人たちは他人の助けとなること、命の一部となることに喜びを感じている始末。

その中の1人であるムクと呼ばれる少女は、「自分のために生きようとするアマゾンは人間を食べる醜い存在だ」と言いそうはなりたくないと助けようとする悠を否定します。

言っていることはわかりますしこの自己犠牲の精神は美しくもありますが、何かしっくりきません。

それはおそらく、施設の責任者である御堂がそう考えるようにある種の洗脳ともいえる教育を施していた可能性があるからでしょう。



これまでも人間の都合で作られ、人間の都合で駆除されるアマゾンという存在を目の当たりにし、何が悪で何が正義なのか色々と考えさせられる場面はありました。

そんな中、またも人間の勝手な都合で作られ、しかもそれが食料としてという尊厳を全く考慮しない目的でとなると、いよいよもって何が“悪”なのかわからなくなってきます。

加えて、今回は御堂によってアマゾンである少年・少女たちは自由な意思決定さえできなくされている。

ここまでくると滅ぼされるべきは人間なのではないかとすら思えてきてしまいます。



これまでもアマゾンというだけで殺されなければならないのか、他にも裁かれるべき者がいるのではないかと考えさせられましたが、この映画でもまた色々と考えさせられましたね。

人間は守るべき存在でアマゾンは滅ぼすべき存在、人間は食べてはいけなくてアマゾンなら食べても良い。

もっというと、アマゾンがダメで牛や豚などの家畜は何故良いのか。

ただでさえ重い話なのに、それに加えて答えの出ない問題をあれこれ考えたせいで頭がパンクしそうでした(笑)

最後というだけあって一応の決着はついたが続編を望んでしまう終わり方だった

「最後ノ審判」というタイトルの通り、しっかりと終わりが描かれたものも幾つかありました。


まずは何といっても仁さんと悠との長きにわたる戦いです。

自分の責任で生み出してしまったアマゾンを1人残らず狩るという仁さんと、人もアマゾンも関係なく自分が大切だと思ったものは守るという悠。

どちらの選択も辛く厳しいものであり、両者が分かり合えないのは何とも悲しいものがありましたが、そんな関係にも終止符が打たれました。

これまで無言だった七羽さんが話したことで、ああ、本当に仁さんはいなくなってしまうのかと何とも言えない気持ちになりましたが、あそこから実は生きていたと言われても納得してしまうので一応の決着というのがしっくりきますね。



続いては人間とアマゾンという2つの種の関係性についてです。


もちろんアマゾンそれ自体は世間一般に認知されたわけでも、その存在を理解されたわけでもなく、新しく生み出されていない限りおそらくは狩りつくされたのでしょう。

秘密裏に処理されなかったことにされる。これは人間が一方的に支配した関係とも取れます。


しかし、最後に美月が施設の子供たちと共に生きる道を選んだ事で、小さいながらも人間とアマゾンの共生という理想的な形が実現したともいえます。

小さな一歩ではありますが、殺す・殺される、食べられる・食べるという関係ではなく、共に生きるという第3の関係が築けたのは素敵ですし良い落としどころだと思います。



このように一応の完結をみせたものもありましたが、問題がそのままとなっているものもあります。


まずはそもそもの元凶である令華や天条が何ら痛い目をみていないという点、橘も失脚したとはいえ罰としては軽すぎるという点です。

この3人は未だにアマゾンに対して偏った見方をしているため、同じ過ちを犯す可能性は非常に高いといえます。

今までにあった悲劇が今後起きないようにするためにも、問題の根本ともいえるこの3人をしっかりと無力化して欲しかったなというのが正直なところです。


あとは何といっても悠自身の問題です。

仁さんとの戦いを前にムクの懇願があったからとはいえ、今まで拒み続けた食人を遂にしてしまった事で、ますます生き難くなってしまいました。

これまでも色々と悩み、苦しんできた悠がこれで更に苦しむことは確実ですし、強烈な食人衝動を恐れてみんな(美月)の元から黙って去ったというのも理由の一つとしてあると思います。

自分がボロボロになりながらも、何を言われても周りの人たちを守り続けた彼が傷ついたまま報われない。こんな悲しいことがあって良いんでしょうか。

私がこの映画を観てすっきりしなかった最大の理由は、アマゾンを生み出した元凶がきっちり裁かれなかったこともそうですが、悠が救われないまま終わってしまったからなんだと思います。

忙しい人のためのまとめ

  • これまでも何が正しくて何が悪なのか考えさせられたが、この劇場版では更に重いテーマで色々と深く考えさせられた
  • 仁さんと悠の戦いや、人間とアマゾンの関係など一応の決着はついたが、全てがすっきりと完結したわけではない
  • これまでのシーズンと同様に面白かったが、ぜひ続編を作って欲しい

おわりに

こんな感じですっきりしないと言いながらも、観に行かなければよかったとはなっていないことから映画自体はしっかりと楽しめたみたいです。

これまで同様緊迫感があり、グロ・アクション・人間ドラマという特色はしっかりと描かれていました。

ただ右から左に流れるのではなく、観たあとに何かがしっかりと残るあたりも流石です。


しかし、前述した通り悠が報われたとは言い難く、最後に一人で去っていくシーンはとても切ないものがありました。

あの終わりかたならまだ続編を作れると思うので、何とかあそこから悠が幸せになれるエンドを作って欲しいものです。

なにはともあれ、まだ観てないというかたはぜひ観てほしいですし、シリーズを観ていないというのであればせめて1話だけでも観てもらいたいです。



長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、またのお越しをお待ちしております。

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